MESSAGE

創業110年の感謝と共に、
“いのち”を、
みつめる。そだてる。つなぐ。

新型コロナウイルス感染症により、国内のみならず世界中で多くの尊い命が失われ、今なお患者さんが増え続けています。その上、生活の糧を得る「働き場」を失い、路頭に迷われている人々が激増しています。まさに今、私たちは100年に一度という未曾有の危機に直面しています。

コロナ禍であらゆる産業が根幹から揺らぐ状況の中、エッセンシャル・ジョブ(必要不可欠な仕事)の重要性が見直されています。しかしその中の一つ、第一次産業は近年の地球温暖化、若者の農業離れによる労働力不足などの影響で、安定生産・供給に支障が出ています。これらの課題を克服すべく、IoTやAIの活用、ドローン、ロボティクスなどの DX(デジタルトランスフォーメーション)の研究・開発が加速し、いわゆるスマート農業が脚光を浴びています。

私たちイノチオグループはこれらの最新技術を取り入れ、志を同じくするパートナーと連携して、永続可能な農業経営を通じて循環型社会の実現に貢献してまいります。非常時である今だからこそ、お客さまの真の声に耳を傾け、寄り添い、これまでの習慣や社会常識を根本から見直し新たな「つながり・共感」の時代を生き抜く創造的な付加価値を提供していきたいと思います。

創業から積み重ねてきた、社是「(生きとし生けるものすべての)いのちに感謝し、いのちを育む」、この言葉を大切にし「いのちを、みつめる。そだてる。つなぐ。」という使命の下、改めて創業110年の感謝と共に、報恩の精神を忘れず精進してまいります。引き続き一層のご支援をお願い申し上げますと共にご指導くださいますよう、よろしくお願いいたします。

最後になりましたが、ご健康とご多幸を心から祈念いたしております。

イノチオグループ代表 石黒 功

110 CHALENGE

周年プロジェクトの狙いである、「社員の成長」「社員のしあわせ」「お客様と農業への貢献」が実現ができるように従業員が110個のチャレンジに挑戦!

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inochio

1905年 アインシュタインが相対性理論を発表

創業・薬局
1909
代表/石黒利平

代表/石黒利平

田原に石黒薬局誕生

石黒利平が田原病院に薬局主任として勤務。同じ年、田原市に間口三間、奥行二間くらいの小さな薬局を開設。薬局の人気が高まり、やがて1917年に病院を退職し、研究に没頭。

田原に石黒薬局
1917

過マンガン酸カリウムの
製造方法の発明

第一次世界大戦の影響で消毒液として使われていた過マンガン酸カリウムが不足。利平が製造方法を発明し、国益に貢献。

田原神戸町に
石黒製薬所開設

農業界参入
1921

農薬の販売開始

過マンガン酸カリウムの需要が減り、他の化学工業品メーカーも作るようになる。一方、利平は農業市場に目を向ける。植物の成長を促す石灰硫黄合剤の発明をもって「農薬の石黒」として名を馳せるようになる。

1937

利平が硫酸ニコチンの
製造法を発明

殺虫剤としてアメリカ産の「硫酸ニコチン」が広く使われていた。1931年の満州事変により、アメリカとの関係が悪化したのをきっかけに利平が農林省の勧誘を受けて、硫酸ニコチンの製造法研究を開始。

石黒利平が硫酸ニコチンの製造法を発明

1945年 ポツダム宣言

1950

石黒製薬所の法人化

卸販売の体制が整い、事業拡大の道が開く

石黒製薬所の法人化→㈱ 石黒製薬所

1955年 三並義忠が「電気炊飯器」を発明

農材・ハウス
1960
代表/石黒㓛三

代表/石黒㓛三

石黒㓛三の代へ

石黒㓛三が
石黒製薬所㈱ の代表取締役社長に就任

1961

農業基本法が可決。「三ちゃん農家」が急増

1964年 東京オリンピック開催
高度経済成長

1964

園芸資材用のビニール
取り扱い開始

この頃から農薬だけではなく、農材に事業展開

1968

豊川用水完成

かつて干害に見舞われていた東三河が発展

1970

イシグロ農材㈱ 設立

「予想してできるものではない。当社に運が味方してくれた」
石黒製薬所と農業資材を扱う旭産業が合併して「ハウスの製造・加工から建設施工までトータルに対応するイシグロ農材」が誕生。赤字経営でスタートしたが、「お客さまの近くで、常に身近に接しながら販売する」という密着型の営業で信頼関係を得、第23期には年商100億円を突破。

石黒製薬所の法人化→㈱ 石黒製薬所

1970年 大阪万博

1973年 オイルショック

1977年 マイクロコンピューター発売

ホームセンター事業
1984

イシグロホームセンター・ユアーズ開店

「くすりのイシグロ」がイシグロドラッグストア・アーパスに改称

1988

ホームセンター・ユアーズがホームセンター・リブに改称

リブ(RBHU)はサンスクリット語で「匠の神々」という意味

1991
代表/石黒功

代表/石黒功

石黒功が石黒製薬所、イシグロ農材の代表取締役社長になる

石黒功が石黒製薬所、イシグロ農材の代表取締役社長になる
1998

金子鋼機㈱ がイシグログループに入り、のちにイシグロ農材関東㈱ に改称

石黒製薬所からリブ・アーパス部門を分割し、㈱イシグローイング設立

2000

イシグローイングからアーパス部門を分割し、㈱アーパス設立。のちにジップ・ホールディングスの100%子会社になる

「生き残りをかけて争うよりも、イシグロにしかできないことをやってみたい」
競合の激しいドラッグストア業界を去り、 再び農業界に焦点を当てる。

2005

イシグロ農芸㈱ 設立

トマト生産農場を開設

2005年 愛知万博

2006

ホームセンター・リブ部門を㈱カーマに営業譲渡

2007

ガーデンセンター・カフェ「くくむガーデン」オープン

2008

オランダ事務所開設

㈱精興園と㈱フローラ世羅がグループ入り

2009

㈱加村農薬がグループ入り

2010

100周年

2012

山形日紅㈱ 、㈱ひまわりがグループ入り

2013年 富士山・和食が文化遺産

イノチオグループ誕生
2015

イノチオホールディングス㈱ を設立し、イノチオグループとして生まれ変わる

強いブランドを作り、全社員の成長につなげるを土台にイシグログループの第二の創業が始まった。農業は高齢化・後継者不足やグローバル化など、多くの課題を抱えている。この新時代を「いのちを大切にして、可能性を大きく開いていこう」という願いを込めた名前「イノチオ」で始めることになった。

イノチオみらい㈱ 設立

アグリパーク南陽㈱ がグループ入り

2016

イノチオプラントケア㈱ が㈱加村農薬と㈱エコサンクスを吸収合併

Marche&Café hana・yasai オープン

イノチオファーム豊橋完成

愛知県の施設園芸をより一層進行するため、農業・流通関連企業、農協、大学、豊橋市および愛知県を構成とする次世代園芸推進コンソーシアムを組織。その拠点となる「イノチオファーム豊橋」では、高度な環境制御技術により高品質な農産物を計画的、安定期に生産、地域の先進的技術普及の一翼を担う。

日本農事㈱ がグループ入り

2017

山形日紅、ひまわりが合併し、イノチオ東北㈱ になる

新社屋完成

現在の本社屋の建設地は、歴史をたどると、イノチオグループの施設部門であるイシグロ農材の設立に戻ります。昭和41 年(1966年)、旧石黒製薬所の事務所と倉庫を造るにあたり、初めて高師に進出。その後、この土地はイシグロ農材本社となり、さらにはイシグロ園芸を開設。スクラップ・アンド・ビルドでホームセンター・ユアーズを建設、改称し、ホームセンター・リブとして使っていた場所です。本社屋の設計建築に当たっては、デザイン性だけではなく、100年以上使えるというコンセプトで設計。

新社屋完成

イノチオ中央農業研究所を開設

2018

川合肥料㈱ がグループ入り

hana・yasai栄店オープン

ラオスのAdvance Agriculture
を事業継承

「これからは農産物だけでなく、農業技術も輸出する時代」

2018年 大谷翔平がメジャーで二刀流で活躍

2019

イノチオ東北、日本農事がイノチオプラントケアに統合

オランダのFloritecがグループ入り

イノチオ・フジプランツ㈱ 、イノチオ・スズキヤングプランツ㈱ を設立

1985年からカーネーション種苗の専門会社として活躍しているフジ・プランツ㈱のカーネーション事業を継承

SDGs宣言

経営理念に掲げる「持続可能な社会の実現に貢献」するため、国連が採択したSDGs(持続可能な開発目標)に沿った事業方針を決定。グループ内では各部門でSDGsの視点に立った事業計画を策定し、その実践を開始。

Advanced Agriculture がラオス法人K.P Company Limited と合併契約。Inochio K.P Lao に社名変更

2019年 ラグビー日本代表が史上初
決勝トーナメント進出

2020

㈱ランドサイエンスがグループ入り

2020